金魚だってきっと寂しい

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この記事を知ったのは愛読しているblogから。

そのBlogの主さんは 老人ホームにお勤めの様で、この記事に関連づけて、ご自分の職場である老人ホームの事を書いていました。

 

ご夫婦で入所されても病気が理由で

夫婦別室は稀では無い。認知症なら尚更だ。

旦那さんの方が元気な場合、離されることへの抵抗が凄い。

声を上げて 泣くおじいちゃんも多い…

 

これを読んで 夫婦揃って老人ホームに入る事に まず驚きました。

そして夫婦でも 部屋が別…

それって なんて寂しいのだろう、と思います。

仕方がないのですね…

 

 

福祉移設で働く友人の

ある日の言葉を思い出しました。

 

おばあちゃんは 寝たきりとか認知症に

なって 何かあると「おかあさーん」って呼ぶ。 

おじいちゃんは たいてい奥さんの名前や愛称を呼ぶ。

 

そして おじいちゃんは

とにかく 女の看護師さんに身体を触ってもらいたがる。

いやらしい意味ではなく ほっとするらしい。”

(枯れても尚 いやらしい人もいるらしいw)

 

 

 

 

 

 

今は 未だ他人事。

でも、いつか 私だって

きっと歩けなくなる日を迎えます。

 

記憶もあやふや。

トイレも自力では無理になり

ただ呼吸して寝ているだけ、

・・・そんな日が来ます。

 

そうなる前にこの世を去りたいと切に願うけれど、生きながらえて 誰かに疎まれる…

 そんな自分の未来は考えたくないですね。

 

 

?

 

そうなる前に この世を去りたい

そうは 思うけれど

 

働けなくて お世話してもらったり

迷惑をかけて施設に預けられたり

 

そんな人間は いない方がいいのかな?

生きている資格は 無いのだろうか?

 

…そんに風にも思います。

少し前にも 悲惨な事件が起こりましたよね。

辛いニュースでした。

 

 

 

 

寝たきりの本人に

選択の余地は あまりない…

寂しさも 感じなくなるのだろうか…

人の生きてきた証って

何なのでしょうか?

 

過去より 未来より 今なんだなと

改めて思うのです。

 

 

 

?

 

 

原爆で多くの命が失われた… 
特別な事の様で
特別ではない 死。

 

一度に 大勢で あの世に行けたとしても
あるいは 部屋で1人目を閉じたとしても
逝く時はみな1人です。

 

そして

失われたのは 人の命だけではありません。

その土地の花も虫も動物達も…

 

 

金魚にも 花にも

猫にも 身体の不自由な人にも

お年寄りにも 

亡くなった方達にも

優しい世界が あって欲しい。

 

 

 

 

帰らぬ命に頭を垂れながらも

目の前の「今」

自分の側にいて 関わりのある

沢山の命や想いを慈しみたいと思う。

 

世界中の人に繋がれる時代なのに

親しい人や大切な人には

案外繋がれないものです。